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音を出せてしまう



レッスンをしていて、クラシックピアノ上級クラスで簡単な曲を弾く生徒さんと、声楽クラスで日本語の歌を歌う生徒さんには、共通点があります。



クラシックピアノ上級クラスの生徒さんは、楽譜を見ると音を出せてしまう。

鍵盤の場所、音の長さ、強さ、そしてその音の流れで動かしやすい指使いまで、初めて見ただけで分かってしまい、簡単な曲なら一回目で最後まで音を出せてしまいます。

「練習曲は簡単なものを弾きたいです」「すぐに仕上がる作品をやりたいです」。。。


ですが、それが‘音楽の演奏’になっていることは、残念ながらとても少ない。


なぜ?何が足りないの?

それは、作者が奏者に伝えようとしていることのほとんどは楽譜に書いておらず、音楽を奏でる者としての基本常識が必要だから。

「この音はこの場面ならひとつ前の音に比べて○○ように大きさと音色が変わるはず」

「この音は前後関係と曲全体の位置付けから見て、○○の長さで弾くべき」。

これらは一切書いてありません。


楽譜表記と演奏方法についてを、歴史や楽器構造などいろいろな面から知っている必要があります。

それらを土台にして、まず自分の解釈を作り、そして自分の出している音たちがその音楽になっているのか、その時の楽器の音を聴き取ろう感じ取ろうとする耳と心が働いているかが大切なのです。



声楽クラスで日本語の歌を歌う生徒さんも同じです。

日本語の歌詞は、楽譜には平仮名(時にはカタカナも混じえて)で書かれます。

ですから、初めて見た楽譜でも、音程やリズムが分かるかたなら一回目でとりあえず声を出せてしまうのです。

「たまには日本語の曲で楽をしたいです」。。。


こちらも、それが‘音楽の演奏’になっていることは、残念ながらとても少ないです。


詩としての元の形は漢字を中心とした日本語の当たり前な表記。

特に、どの漢字を当てはめるのかは、芸術としてとても大切なこと、作者のこだわりが表れます。

中には、普通はひらがなや漢字で書かれるべき言葉を、アートとして敢えてカタカナにする例も少なくありません。

日本語の詩というものは、文字の表記の仕方が何通りもあり、どんな表記なのか重要である、という芸術なのです。


それを声に出して読んだり歌ったりする際には、発音としては一種類しかありません。

元の詩がどんな表記で、どんな人がどんなことを伝えようとしているか、歌う自分はどんな解釈を持っているのか。

これらを声で表すには、各音の音色と大きさにこだわり、音の長さを微妙に変え、そうすることでイントネーションが現れます。

それと共に、態度や顔の表情も使って伝えようとするしかありません。

ですがもちろん、これらのことは一切楽譜には書いてありません。




演奏できてしまったような気がする、、、というところから、本物の演奏へ。。。

実はほとんどのこのような生徒さんは、少し心と考えの向きを変えてあげるだけで、音楽になります。

ということは、音楽にする力も知識も、既に持っているということですね。

使わないともったいないですよ。



 
 
 

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