変拍子は心地よい?
- 2月20日
- 読了時間: 3分
更新日:2月24日
音楽の演奏は、自然であることが一番大切です。
誰にとって自然か、自然であるというのはどういう状態か。
いろいろな角度からの考えがあります
先日『メタフィジカ』というライブに行ってきました。
山上晃司さんという作曲家、編曲家、ピアニスト、即興演奏家、音楽の先生でもあるかた。
ヴォアクレールのテーマ音楽を作曲してくださって、私も何度も舞台で共演させていただいている素晴らしいアーティストです。
山上さんの音楽には、変拍子がとても多いです。
変拍子ではない普通の拍子の曲ももちろんたくさんあるのですが、変拍子の作品はとても複雑で、演奏者にとっては昔の楽譜のように小節線を引かない方がいいのではないかと思うくらい。
演奏するバンドの人たちはとても大変だと思うのですが、それがすんなりできてしまう方たちと組んでいます。
作曲者本人はもちろん、自分の心の中から生まれてきた音楽ですから、変拍子を意識してはいません。
聴いていてとても心地良く、魅力を感じる、という世界です。
そのような変拍子の曲を聞いて心地よいと思えるというのは、その音楽の流れの一番自然な状態がたまたまその拍子だったということだからだと、私は思うのです。
これは現代音楽と中世やルネサンスまでの音楽と同じです。
私の所属するア・カペラグループでは、ルネサンスやバロックの音楽と、現代作曲家の音楽と、どちらも歌います。
その現代の方で、鈴木輝昭さんというまさに今大活躍中の作曲家の作品。
鈴木さんの素晴らしい作品のひとつに、『無伴奏同声合唱のための三つのマリア聖歌~単施聖歌の定旋律による~』という曲があります。
その名のとおり、三曲の聖母マリアに関する中世の宗教歌をもとに、それを発展させて作られた組曲。
各曲の初めのページには、素材となったモテトの当時のままの楽譜が掲載されています。
ここには拍子は無く、区切りを伝える短い線がところどころに添えられているだけ。
この楽譜を解読して、それを元に様々な作曲技法を駆使して作られているのですが、その現代の方の楽譜には小節線が引かれ、拍子が書かれています。
ですがあまりにも頻繁にその拍子は変わってゆき、四分の2.5拍子、3.5拍子、という小節がたくさんあります。
これを一生懸命に数えながら歌う、拍子による一拍目のアクセントを感じながら歌うと、おかしな演奏になります。
言葉のアクセントと、文章としての区切り目を感じながら、自然に話すように歌ってゆけば、とても歌いやすいのです。
さまざまな作曲技法も感じ取れて、とても楽しいです。
ルネサンスの宗教曲を歌うのに小節線のない楽譜を使って拍子を感じないようにして歌っていますが、鈴木輝昭さんのこの作品にはそれと同じような心地よさがあります。
今週のnoteとYouTube は、この二人の作曲家のお話をもとに、『話すように流れる音楽』という変拍子のおもしろい話題です。






















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