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戦後80年に音楽を思う

今年2025年は戦後80年。

日本中でいろいろなことが行なわれ考えられていますが、私は音楽の面から戦後80年を見つめたいと思います。



照りつける太陽と蝉の声から連想するのは、あの戦いの後の呆然とした気持ち。

毎年8月は戦争にまつわる音楽を取り上げます。

今年の夏は特に、生徒さんたちにもたくさんの関連する作品を演奏していただいていますし、自分のリサイタルでもテーマにしています。

そして友人の出演する演奏会に、戦地の人々の命を思うそのプログラムに惹かれて行きました。


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戦争にまつわる音楽はたくさんありますが、見る角度によって思い浮かぶものが変わってきます。



戦前に生まれたたくさんの名曲の歌詞から、戦意を鼓舞する内容だけをすべて消し去り、魅力的な音楽としてその存在を残す、ということが行われてきました。

例えば『鯉幟』『里の秋』など。


そして終戦直後に生まれたたくさんの歌が、歌い手の声と共に、その立ち尽くす日本人の心を少しずつ希望の光の方へ導いて行ったのです

例えば『青い山脈』『リンゴの唄』『みかんの花咲く丘』など。


過去に作られてきた偉大な音楽がさまざまな戦いの傷を癒すことも、音楽のちからであり音楽と人間との最もつながっている点だとも思えます。

例えばいろいろな作曲家による『レクイエム』『アヴェ ヴェルム コルプス』など。


終戦時に青春時代だった日本を立ち直らせた人々、その心を何年も経ってから詩にした作品がありました。

それを現代の作曲家が音楽にしてくれたために、それを演奏する今の私たちは当時の心になることができます。

例えば『春』(新川和江/信長貴富)など。


戦争経験者の二世や三世に当たる世代の音楽家が、記憶を繋ぐための音楽を生み出しています。

例えば『さとうきび畑』などたくさんの日本のポップスやフォークソング。




どれも皆、芸術に触れ一体になることが人を変えてゆくということ、そして音楽の意味や価値を思うということです。




音楽を生み出したり奏でたりすることは、戦うことと同時にはできません。

戦地でのその実例がいくつも記録に残されています。



音楽のちからを信じ、逝った人々の魂を想い、歌うことで祈りたいと思います。

 
 
 

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