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母音唱という練習

更新日:6月28日

歌の練習メニューのひとつに“母音唱”というものがあります。

歌詞から子音をすべて取り除いて歌います。

例えば「兎追いし彼の山」→「うあいおいいあおああ」となります。

この母音だけの状態で、子音があるときと同じように意味に心を込めて歌います。

そしてそれを客観的に聴いて、場面や意味に合った音色や響きに作れているかを確かめ、練習してゆきます。


これは何のためにやるのか。


歌を歌うということを浅く捉えている場合、人それぞれ大切にするポイントが異なります。

歌詞の内容に心を込める、キレイで魅力的な声で歌う、音やリズムを間違えない、良く通る声で人の注目を引き付ける、、、などなど。

どれも大切ですが、そのような方々は誰でも皆さん、「そのひとつのことだけ」しかやりません。

浅く捉える方は、自分のしていることの他にもいろいろ、「歌う」中で大切なことが、有るということにすら気づかないこともあるのです。

これはすべて無意識での話です。


まず考えてみてください。

歌というのは、声という音で人の心に何かを伝えるアートです。

作曲者が現したかった音の姿を、楽譜から読み取って自分の声に置き換え、その声で伝える。

自分の声のありようが本当に自分の目指す姿をしているのか、音色、大きさ、アーティキュレーションを常にチェックします。


そして歌詞の文学としての内容を本当に正しい意味で伝えられているのか。

どの言語も、発音だけでなくアクセントの位置によっても違う意味になってしまうこともあり、単語や文章として正く言えていなければ当然意味も伝わりません。

正しい上に更に大切な解釈ということもあります。


このように考えてゆくと、歌の練習として母音と子音に分けて練習する意味が解ってくると思います。

まず母音の音色と響きがそのまま聴く人の心を動かす音声になり、そして子音が詩としてどんな内容を言っているのかを伝えます。


子音の方は、日本語であればいくつかのことに気をつければすぐに伝わるようにできるでしょう。

問題は母音の方です。

歌詞の言葉ばかりに気を取られて、どんな音声を発しているのか、特にどんな大きさの変化や響き方や繋げ方で歌ってしまっているのかに、責任が持てていないこともあるのです。

外国語で発音に慣れていなければ尚更です。

そこでとても大切な練習メニューが、“母音唱”です。


母音が歌になっていないと、母音が聴く人の心を動かす楽器になっていないと、子音もおかしな音声として伝わってしいます。

歌を練習するときには、歌詞だけに集中するのでもなく、音程やリズムその他楽譜に書いてある細かい決まり事に拘るだけでもなく、音色とアーティキュレーションがどうなっているかに集中すべき時期があるのです。


そう、母音唱の主たる目的は、このアーティキュレーションを修正することです。

音と音がどのように繋がっているのか。または離れているのか。

歌詞の内容、つまり子音の発音に夢中になって、またはそれだけを大切にして歌う方が陥りやすいのは、母音と母音の間に子音による隙間を開けてしまうという状態です。


歌のいろいろな表現というのは、ほとんどがこの、音と音が繋がっているのか離れているのかで決まります。

母音の響きと響きが途切れてよいのは、文章の句読点のところくらいであり、あとはほとんどが響きが繋がっていなくてはなりません。

そうしないと音楽として心を動かす音声にならないのです。

ですから、歌詞からいったんすべての子音を取り去って、すべて母音だけで、アーティキュレーションが繋がった表現ができているかを作り直して、そして子音を入れてもそれが崩れないように歌い方を作ってゆくのです。


本物の歌を歌うためには、母音唱という練習は欠くべかざるものといえるでしょう。

 
 
 

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